そもそも、お屠蘇(
屠蘇)というのは、桂皮や山椒、桔梗などを混ぜ合わせた屠蘇散を日本酒に浸してからみりんなどで甘く味付けたもので、いわゆる
縁起の良い 風習です。中身は漢方薬のチンキみたいなもので、一時期流行った(習慣になっている人もいるであろう)養命酒と似たようなものといえます。
飲食に関する儀式は昔から重要視されています。日常でも食事はしばしば仲間と共にとるものであり、テーブルマナーのような
しきたり と共に仲間意識を強める一種の儀式といえるでしょう(広義の
共同飲食)。本来、食事というのは無防備な場であり、アルコールの摂取を伴えばなおさら危険です。仲間でなければ不意を突かれたり毒を盛られるかもしれませんし、一方で無防備な場を共有して食事をとることで仲間意識を示すこともできます。すなわち、共同飲食によって生まれる仲間意識は、食事という行為が抱える危険性に支えられていることになります。
では、このような食事の危険性だけを取り除きつつ、共に食事を楽しめる場があったらどうでしょうか? たとえば、新型コロナウイルス感染症の流行下で発見されたリモート飲み会や、VRChatなどのVR空間で飲食を楽しむことは、現実世界のそれと比較してどれほど 儀式的 だと思いますか? 当然、既に現実で飲食を共にしたことがある人とは同じように楽しめるかもしれませんが、初めて会う人との飲食が(現実のものと同等かそれ以上に)楽しめるかは分かりません。見せたくない部分を見せずに済むということは、無防備さを減少させると言い換えることもできるからです。