こんにちは、あまねです。
感想や興味のあるトピックについて、ぜひコメントしてください。
人間と科学
おさんぽとセーブポイント
昨年、就職を機に東京に引っ越してきてから1年半ほど経ちました。新型コロナウイルス感染症の流行もあり、大手を振って遊びや旅行に勤しむのはなかなか難しいですが、情勢が落ち着いたタイミングでたまに散歩に出かけたりしています。
散歩の始まりはいつも唐突です。最寄りの駅から適当な電車に乗って知らない駅で降りると、知らない街の景色が広がっています。商店街を抜けると住宅街が続いていて、途中で公園や神社に立ち寄ることもできます。もちろん、商店街ですてきなお店を見つけて休憩してもかまいません。
散歩の間は(特に広域の)地図を見ないことが重要です。スマホで写真を撮ったり、ちょっとSNSを眺めるくらいなら問題ありませんが、自分の居場所を正確に知りすぎることは非日常性の喪失に繋がります。見たことのある景色が徐々に消えていく感覚を大事にしましょう。
道中では意味もなく看板や街の風景を撮影して、まだ来ないお絵かきを始める日に備えています。なんか老後みたいですね。
さて、たのしいおさんぽですが、ずっと前に歩き続けるわけにはいきません。ADDressでもやっているのでなければ、最終的には出発点に帰る必要があります。でも、できれば同じ道は戻りたくはないですし、違う道だけを通って(しばしば行きよりも長い距離を!)帰るのはなかなか骨が折れます。進んでいるときは戻るときのことを考える必要はないのです。
こんなとき、道中で駅を見つけると非常に便利です。何も考えずに進みたいところまで進んだら、最後に出会った駅まで戻って電車に乗ると、たいていすぐに見知った駅の並びを見ることになるでしょう。これなら、長くても十数分で日常の景色に戻ることができますし、同時に徒歩の無力さを思い知ります。
僕はこうやって散歩中に見つけた駅(もちろんバス営業所やバス停でもいいです)をなんとなく セーブポイント と呼んでいます。正確には、ワープのためのポータルのようなものですが。セーブポイントは一定間隔で現れることが保証されているわけではないので、道路の大きさや植生の変化でなんとなく引き際を感じ取るのも大事です。
最近はマイクロツーリズムがもてはやされていますが、たいていお金を落としてもらうための施策もセットになっています(経済回復が主目的なので当たり前ですが)。もちろん、近場でいつもより贅沢な時間を満喫するのは素晴らしいことですが、あんまりお金をかけずに非日常を楽しむのもおすすめです。
POSAカードと同人誌即売会
先日の文フリ東京33の後で、同人誌即売会に向き合う姿勢について話す機会がありました。
僕が所属している変態美少女ふぃろそふぃ。では、ブースに(少なくとも人間の)売り子を置かずに済むようにすることを中長期的な目標に置いています。ただ作品を手渡したり、金銭の勘定をすること自体はあまり重要ではないからです。極端な例を出すと、ブース設営が終わったら会場を抜け出して大井競馬場に遊びに行くことさえできるようにすべきだと考えています。
オンラインではなく、あえて現地で同人誌即売会に参加する私たちが集中すべきなのは、単なるレジ打ちよりも企画と交流の場の提供でしょう。たくさんのブースが集まる場の お祭り性 に依拠しつつ、来場者と交流できる機会を用意しなければ意味がありません(ただし、対面で会話することだけが交流ではありません)。
売り子を置かずに現地で作品を販売しつつ お祭り性 を維持するには、POSAカードのスキームが参考になります。POSA(Point Of Sales Activation)カードは、主にコンビニで売られているプリペイドカードの販売形態の一つです。文字通り、レジで会計を済ませた時点で使用可能になるシステムであり、レジで会計せずに持ち去ったとしても券面の金額を使用することはできません。
このように、無料で配布しつつ本編を読むには支払いが必要となるパンフレットを用意すると、ブースに売り子(ここでは警備員と同等)を置く必要がなくなります。印刷版チケットと組み合わせることもできるでしょう。無料だからと持ち帰った人が支払わずに放置する可能性も高いですが、たぶん、そういう人は現地で購入したとしても読んでくれない気がします。
もちろん、単純にPOSAカードを実装するだけでは、現地で会計を済ませたい人にはフィットしません。特に、現地で現金を扱うにはやはり自動販売機の概念を準備する必要があります。
ツイッター
今回はありません。
アマネイメージズ
マキさんに「今日でこの街も最後だし、もう一度行ってみない?」と、まるで今思いついたように連れてこられたのは、山の上のロープウェイのりばでした。お昼に入ったファミレスでドリンクバーをミックスするのさえ飽きてしまった後のことでしたから、残っているのは乗客を見送る家族だけです。もうちょうど、今日の最終便が頂上へと向かうのを見送ることしかできません。
「少し遅かったですね」
「また明日来ればいいわ」
駅舎に取り付けられた大きなスピーカーから、古いカセットテープのような間延びした洋楽が流れ続けています。ふと、小さい頃に母親と歩いた商店街のことを思い出しました。まるでここだけが時間の流れから取り残されて、永遠にこの曖昧な薄暮に閉じ込められてしまったかのようです。
おかしなことですが、マキさんがロープウェイに乗るつもりがないのは分かっていました。ロープウェイに乗りたいのなら、ほとんどの人は最低限の身辺整理を済ませて直行シャトルバスで来るはずだからです。私たちのように自家用車で(しかもピカピカのレンジローバーで!)上がってくる人は、たいてい黒い喪服を着ていますし、しばしば純粋に景色を楽しみたいだけの乗客から疎まれています。
このロープウェイは全国でも珍しい開放型のゴンドラを採用していて、眼下に広がる風景がよく見えるように、左側にはジュラルミンの壁どころかガラスさえも嵌まっていません。そのせいか、素敵な景色に見とれてほとんどの人がゴンドラから飛び降りてしまうのだそうです。しかし、当の鉄道会社自身は特に問題視していないようで、柵やネットを設けて安全対策をするわけでもなく、むしろ「もっと近づいてみたくなる夜景」というキャッチフレーズで夜行便の宣伝さえ始めています。
私は前もこの光景を見たことがありました。ちょうど、マキさんと出会った日のことです。あの日もこんな春先の肌寒い夕暮れで、寂しげな顔をしたマキさんは、やはり最終便を見送って「次はきっと乗りましょうね」と言っていました。一人が飛び降り、また一人が飛び降り、まるで焼却炉に運ばれるペンギンの群れのような乗客を運びながら、ロープウェイは淡々と上へ登っていきます。
どうしてマキさんは「次は」だなんて守る気のない約束をしたのでしょうか。明日、はいつ来るのでしょうか。マキさんはずっと向こうの景色を見つめたまま、そっとため息をついて私の手を握りました。